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アートディレクター

人間って、間違ったりする。最終的に『温かさ』を感じられたら。

2019年9月2日

高校1年で人生を変える「カッコイイ!」を見つけて40年以上、
まっしぐらに、ひたむきに、丁寧に、ブレずにデザインと歩んだ道のり。

そこには、時代の先端も、世の中の仕組みも、注いだ時間も情熱も、
貢献も、感謝も、愛も、温かさも人間臭さもあった!

見出したのは、 作り手の楽しみ、コミュニケーションの醍醐味、
気づく人しか気づかない爆発的な共有感。

デザインに生きるHicoさんからの「ワクワク!!!」のエネルギーを
存分に味わえるインタビューです。

後半は、デザインから少し距離を置くことで、更に気づきを在り方にもデザインにも生かして輝くHicoさんの体験を語ってくださいます。

高橋 宏比公
GRAFICO DESIGN inc.
取締役 YELL 代表 Art Director / Graphic Designer
https://www.behance.net/grafico_design

  
▼インタビューは前半はこちら
説明じゃなく、お客さまが未来や夢を描けるようなエッセンスが大事。高橋 宏比公さんインタビュー

1. 高1からデザインにまっしぐら。そんなぼくがデザインから遠ざかっている自分が見えたとき

マツダミヒロ(以下、ミヒロ):自分のデザイン事務所をつくることになったのはいつ頃?

高橋 宏比公(以下、Hicoさん):札幌に帰ってきて、しばらくは東京にも行ってました。サラリーマンをやりながら3年間、代理店を通じて顔をどんどん広げていったんです。

そうして3年くらいしたところで、札幌で就職した会社の社長が「高橋くん、もうそろそろ1人でどうだ?」と言ってくださり、「1年ください。1年でぼくもいろいろと準備しますので」ということで、もう1年その会社でお世話になって、35歳でしたかね・・・自分で会社を立ち上げてやるようになりましたね。

東京にいた頃も、札幌に帰ってきてからもそうですけど、ぼくらの仕事って割と朝10時くらいから始まって、夜中の3時4時って当たり前の世界なんですけど、イヤで(笑)

ミヒロ:そうですね。

Hicoさん:それがイヤだったので、ぼくは会社つくって20年間くらい、徹夜っていうのは多分2回くらいしかないです。あとは終電か、それでも1時、2時くらいになったときは、タクシーで帰ってます。徹夜はしたくなかったので、極力やらなかったですね。

ミヒロ:それからどんな気持ちの変化があって今に至るんですか?

Hicoさん:最初にお話しましたが、高校1年の1学期でデザインに興味を持って、ずっとまっしぐらだったわけですよ。しかも、やりたい仕事にほぼほぼ巡り会い、やらせていただいて。

最初に百貨店をやったせいか、百貨店って基本的に休みがないので、デザインプロダクションはもちろん休みはあるんですけども、ぼくは土曜も日曜も出ていて、出ていると電話がかかってきたりするので、受けて仕事をやって・・・そういうことに慣れていたので、50歳過ぎるまでは土曜も日曜も事務所に行っていたんですね。

そのくらい好きで好きで。

休みの日で何も仕事がない日でも、デザインの本を読んだり、書籍を見て勉強をしたりしていて。ただ、自分のオリジナルの作品を作ることはしなくて。

それはいちばん最初に勤めた会社で、自分のデザインを好きなように作っていると、社長から「君、それ仕事か?」って聞かれて、「デザインの勉強をしたいと思って、自分で作っていました」と答えると、(社長)「君、それもいいんだけど、そんな時間があったらギャラリーに行くのもいいと思うし、さっきお昼食べたばかりだろ?昼寝するのもいいぞ」と言う社長だったんですよ。

『夢』の話をしてくださった社長なんですけど。
それがずっと身についてしまって、自分のオリジナルの作品を作るっていうことはしなかったんですね。なので、休みの日に会社に出たとしても、本を読んだり、書体(フォント)の勉強をして覚えたり、ひとりでも多くカメラマンの作風や名前を覚えたりして、雑誌から知識を入れることに専念してたんですが・・・

50歳過ぎてからでしょうか・・・休みの日に会社に行っても、デザインの本とかを読んでいない自分がいたんですね。小説を読んだりとか、昼寝は昔からしてたんですけれど昼寝をしたりとか。既にネットはありましたから、ネットでいろいろ見たりとか。

ちょっとデザインから遠ざかっている自分が見えたんです。
「あれ?」と思って。あんなにデザインが好きだったのに、どうしたんだろう?・・・そう思うと、「確かにデザインに対する想いが熱くないよね?最近」という気持ちに気づきました。

ある日、専門学校時代の友達と飲んでいたときに、「最近そうなんだよね」という話をしたんです。そうすると友達が「テクノ(Hicoさんのニックネーム)さ、仕事やり過ぎたんじゃない?休んだらいいんじゃないか?」と言ったんですね。

その友達は、お子さんが専門学校を卒業して「就職したくない」と言い出したときに「いいんじゃない」と受けとめた、と。でも今は、自分の好きにやってるそうなんです。そして「テクノもさ、休んだらいいんじゃないか?しばらく」という話をされて・・・

その話をされた途端、涙がぽろぽろぽろぽろと出てきていて。

なんかおかしい、なんかおかしい、と思って、それで初めて本屋に行って、自己啓発ですか・・・そのコーナーに行くようになるんです。

いちばん最初に手に取った本が、書家の武田双雲さんの本で、その本を買って読むと、『貢献』とか、『感謝』って言葉がたくさん出てくるんですよ。そのときが52歳くらいでしたかね・・・

ぼくの人生の中で、『貢献』とか、『感謝』ってまったくなかったんですよ。

ミヒロ:へぇ〜。

Hicoさん:それまでどちらかと言うと、仲間のグラフィックデザイナーもいますけども、そういうデザイナーよりも自分の方が勝っていると思いながら、自分のお尻に火を点けて「俺が1番だ、俺が1番だ」と思いながらやっていた方だったんです。「まわりの奴はバカだ」と言いながらやってましたから(笑)

友達や仲間を全然必要としませんでしたし、もっと言うと、人と接するのは仕事か、仕事の調整。クライアント以外は、人と接すること自体疎ましい感じでした。

実家にいた幼い頃に、親から『貢献』、『感謝』という言葉を聞いた記憶もないですし、もっと言うと『愛』、そのような言葉はまったくぼくの人生になかったんですよ。

それを教えてくれたのが武田双雲さんの本で、またそれも「知らなかった」と思ったときに、ぽろぽろぽろぽろと涙が出てきて、「ぼくには何ができるんだろうか?」と思い、まだ絵は描きませんでしたけども、それまでやっていたデザインという技術、職種を足がかりにするならば、絵本はできるかな?と考えました。

これは「魔法の質問」で、ことはカード受講の東京での食事会のときに、ミヒロさんにも少し話しましたけど、絵本とかの世界もあるなぁとしばらくは思っていたんですね。

そんなことを思いながら徐々に気持ちを立て直していって、デザインは継続しつつ、アドラー心理学も勉強し始めて。アドラー心理学は、他のフロイトやユングに比べると実践的な心理学としてハードルが低くて、すごく受け入れやすくて勉強しやすかったので、今でも一月に一回勉強会に続けて参加しているんです。

そんな勉強をしながら、本屋では自己啓発やコーチングのコーナーに行き続け、最初に「魔法の質問」に出会ったのは、札幌でコーチの仕事をされていて、魔法の質問カードマスタートレーナーでもある方がいて、その方から魔法の質問漢字カードを習ったことですね。

そのときに、自己啓発やコーチングの本を読んだときに出ていた、網様体賦活系や自分を高めていくようなメソッドを、ぼくは漢字カードにすごく感じることができ、「これは漢字なのに、そこから受けるぼくの気持ちのゆらぎや、印象の奥深さ、なんてすごいのだろう」と思って、まずは魔法の質問カードにハマりました。

それから魔法の質問のHPを見て、いろんなメソッドが他にもあることを知り、谷本あゆみさん(魔法の質問認定講師)が講座を開催していることも知りました。漢字カードを受けたときもそうですが、人の心を動かすというか、自分の分からなかった内面の気持ちが見えてくることを、問塾受講でも感じたので、「これはもっともっと勉強したい!」と思い、キッズインストラクター講座も受講しました。

そうしていくうちに、一個一個バラバラに講座受講するよりは?と考え始め、魔法の質問マスター講座が目に入り、それを受講すると質問の極意が分かるんだなと思って、そこから深入りしていくことになりました。

2. 『愛』や『感謝』、『貢献』を知り、「気づかれなくていい」スタンスに

ミヒロ:デザイン事務所を何十年間やっていたときと、『愛』や『感謝』、『貢献』を知ってからは、作るもののテイストは変わってきたんですか?

Hicoさん:コンピューターを使うようになってから、イメージが堅いものができるかな、型にはまったというか。

元々あったんですけど『ゆらぎ』だとか、『にじみ』、『もつれ』みたいなものを取り入れようと。

『愛』や『感謝』、『貢献』というものを分かってからは、尚更、人の気持ちというか、感情に訴えるというか、ヒューマンタッチと言ったらいいでしょうかね・・・気配というか、そういうものが ぼくが作る画面から出てほしいという気持ちは強くなりましたね。

封筒をにじませたりとか、太らせたりとか、手を加えないのであればフォントを0.5度傾けるとか。0.5度って誰も気がつかないんですよ。誰も気がつかないんですけども、気持ち悪いって思うときもあるんですね。

ミヒロ:ほう〜。

Hicoさん:それがやっぱり人間の何かをくすぐるかな、と。
あとは0.3ミリ下げたり、文字間を空けたり。そういうコンピューターや、ちゃんとしたものにはない『ゆらぎ』とか、『ユーモア』とか、人の感情をコソッと強く入れるようになりましたね。

ミヒロ:それはなんかすごく共感しますね。
不完全なものの方が完全であると思っていて、キチッ、カチッとしていると、嘘くさい感じがするんですよ。ぼくは今の話はすごくよく分かります。

Hicoさん:そうなんですよね。人間って、間違ったりするので。
しかも昔は、版下っていう手張りのものを作っていたじゃないですか。揃えるんですけども、慣れてくると定規も使わずに平行にものを貼っていったりできるんですけど、コンピューターは最初から真っ直ぐに文字が配置されるので、そこは敢えての4行あったら下から2行目を0.2度傾けてみたりだとか・・・誰も気がつかなくていいんです。

誰も気がつかなくていいんですけども、「なんか気持ち悪いな」とか、「なんか、なんか・・・だな」とか。

ミヒロ:それは気がついてほしいんですか?気がつかなくても全然OKなんですか?

Hicoさん:どちらでもOKです。
特に、コンテストに出すのであれば、割とみんなプロなので「あ!」と言ってくれたりするんですよ。でも、ここ最近は素人の方に直接やりとりして出すことが多いので、あまりそこは分かってもらえないんですけども、それはそれでいいんですよ。

たとえば、佐々木りんご園というところにロゴをお願いされたとして、佐々木という漢字を主体にロゴを考えていくんです。

ある時ぱっと閃いたのは、ゴシック体(書体)は真ん中がちょっと細くなって、左右や上下は太くなったりしているんです。そのフォルムとりんごの茎というか、ついているヘタのフォルムが似てるねっていうところに気づいて!

ゴシックの上は少し広がっていて普通は直線なんですが、ここをりんごの茎みたいにニョロっとへこませて、文字をただのゴシックで組めば、と。

佐々木さんに「これ、どうでしょうかね?」と見せると、最初はどこをイジっているか分からないと思うんです。だけど「佐々木さん、よく見てください。りんごありませんか?」と言うと、佐々木さんはりんごが見えるんですよ。

ミヒロ:ほぅ〜。なるほど、なるほど。

Hicoさん:「あ!これ、りんごですね!」って。
りんごであり、そこには佐々木という紛れもない自分の名前があるので、佐々木りんご園っていうのが、完璧にリンクしちゃうんです。

ミヒロ:なるほど!面白い!

Hicoさん:そんな感じです(笑)

ミヒロ:ぼくたちが名月荘の講座で(魔法の質問マスター講座)、最も伝えたいことのひとつとして、『人を喜ばせる』というワークがあるんですけど、それも今のHicoさんのデザインのエッセンスとすごく似ていて、「気づかれなくていい」っていうスタンスなんですよね。

そこがすごく重要な気がしていて、何かをやると、「もっと気づいてよ」「認めてよ」「知ってよ」「反応ちょうだいよ」って思うけども、そこは隠したままにして、「気づいた人が気づけばいいのよ」ってならないとダメですよね。

Hicoさん:仰る通り!
そこが我々作り手、やり手の楽しみでもあり、お互いのコミュニケーションの醍醐味でもあり、相手が気づいたときの、この爆発的な共有感というところにもつながり・・・このワクワクたるや!!!ですね。

ミヒロ:そうですよね。
なんかこっちから言うのって、ちょっと・・・なんて言うのかな・・・
面白くないっていうか、美しくないっていうか・・・ですよね。

3. 『ゆらぎ』や『にじみ』や『人間臭さ』、人間だものを意識したい

ミヒロ:魔法の質問のデザインをいろいろお願いしていく中で、Hicoさんがぼく達のデザインのお仕事するときに、意識していただいていることって、どんなことがあるんですか?

Hicoさん:先程お話させていただいたヒューマンタッチとか、人間臭さというのは、どこかに忍び込ませたいのはもちろんで、自分の中でより思っているのは、最終的に『温かさ』を感じたいな、というのはありますね。

ヒューマンタッチを意識しているので、着手点としては温かい方向におちるようにはなると思うんですけど、より他の仕事よりは、「魔法の質問」に関してそういうところを意識していますね。

ミヒロ:より人間っぽい・・・

Hicoさん:『ゆらぎ』や『にじみ』や『人間臭さ』、人間だものっていうところを意識していきたいかなって。

ミヒロ:Hicoさんとしては『人間』、『質問』、『デザイン』の3つのキーワードを想像したときに、どんなことを感じますか?

Hicoさん:『人間』、『質問』、『デザイン』・・・
あれですね。ビックリマーク『!』ですね。

ミヒロ:あ〜〜〜、なるほど!
クエスチョン『?』と言うより、ビックリマーク『!』。面白い!

Hicoさん:「あ、そうか!」っていう。

ミヒロ:今思ったのは、クエスチョンマーク『?』って、ちょっと曲がってるじゃないですか。それに気づいて、ぴゅっと、クエスチョン『?』がビックリマーク『!』になる過程がもしかしたら「魔法の質問」なのかもしれないですね。

Hicoさん:あー、カッコイイかもしれない〜!そうですね!
クエスチョン『?』がビックリマーク『!』になる、その方程式が「魔法の質問」のデザインなのかもしれないですね。

ミヒロ:なるほどね、なるほどね!
そういう意味では、Hicoさんに作ってもらったぼく達のデザインとして、みんなの心の中にビックリマーク『!』が生まれるといいですよ。

Hicoさん:はい。すごく嬉しいですね。
今までお手伝いさせていただいたいくつかを、今日、持ってきたんです。
これなんかは(LIFE TREE CARD↓)、手触りに人肌感です!

ミヒロ:これは確かに人肌感がある。

Hicoさん:そうなんですよ。
これは去年お手伝いさせていただいた「しつもんカンファレンス」↓

ミヒロ:これも人肌感があるよ。

Hicoさん:人肌バチバチです!
カンファレンス通信なんですが、本当はぼくの中ではこれがいいんです、これが正解なんです。(使い古した感の方が)

ミヒロ:あー、よく分かる、よく分かる。

Hicoさん:これがぼくの中での通信の完成形なんです。

ミヒロ:こういうことなんですよ。これにみんな気づいてくれたらいいなぁ。

Hicoさん:読めるとか、読めないとか、キレイとか、汚いとかじゃないんです。これはもう、何回も出して、開いて、閉じて、をここに至るまでに肌身離さず持っていたらなっちゃった!という・・・

ミヒロ:シャンパンタワーのイラストも大好評で!(上の写真)

Hicoさん:あぁ、嬉しいですね。
ここに『にじみ』だったり、『ゆらぎ』だったり。

ミヒロ:やっぱり『温かい』ですね。(しみじみ)
これからぼくも広めて行きますね。
そういう意味ではHicoさんに加わっていただいて、人間の『温かさ』が増しました!

Hicoさん:そう仰っていただいて、本当に嬉しいです!

ミヒロ:これからも一緒に、たくさんデザイン、アートワークをしていきたいんで、ぜひ、この記事をお読みの方も楽しみにしていただければと思います。
ありがとうございます。

Hicoさん:ありがとうございます。

 
▼インタビューは前半はこちら
説明じゃなく、お客さまが未来や夢を描けるようなエッセンスが大事。高橋 宏比公さんインタビュー

 
Art Director
Graphic Designerの
高橋 宏比公さんも登壇予定!

しつもんカンファレンス
2019年11月9日(土)10日(日)

Filed Under: 自分探し, 仕事, ライフスタイル Tagged With: デザイン, 夢, アートディレクター, グラフィックデザイナー, 作品, マテリアル

説明じゃなく、お客さまが未来や夢を描けるようなエッセンスが大事。高橋 宏比公さんインタビュー

2019年9月1日

高校1年で人生を変える「カッコイイ!」を見つけて40年以上、
まっしぐらに、ひたむきに、丁寧に、ブレずにデザインと歩んだ道のり。

そこには、時代の先端も、世の中の仕組みも、注いだ時間も情熱も、
貢献も、感謝も、愛も、温かさも人間臭さもあった!

見出したのは、 作り手の楽しみ、コミュニケーションの醍醐味、
気づく人しか気づかない爆発的な共有感。

デザインに生きるHicoさんからの「ワクワク!!!」のエネルギーを
存分に味わえるインタビューです!

高橋 宏比公
GRAFICO DESIGN inc.
取締役 YELL 代表 Art Director / Graphic Designer
https://www.behance.net/grafico_design

  

1. きっかけは15歳のとき。「カッコイイ!」と思ったからデザイナーに

マツダミヒロ(以下、ミヒロ):hicoさんはデザインの仕事をはじめて、何年くらい経つんですか?

高橋 宏比公(以下、Hicoさん):仕事を初めてからですと、20歳からですから・・・37年目。
なんですが、デザイナーになろうと思ったのは、高校1年の、しかも1学期なんです。

ミヒロ:志したのが?

Hicoさん:中学を卒業して、高校に入学してすぐです!

ミヒロ:えー!!!

Hicoさん:高校1年の1学期の中間試験が終わってすぐに、デザイナーになるための手段を探し始めました。
当時ぼくはバンドをやっていたんですけど、バンドの先輩が札幌の専門学校に行ってデザインの勉強をしていると。これもまた縁ですよね。

専門学校と美術大学という選択肢があるという手段がすぐに見つかり、美術大学は大変なので、専門学校がいいんじゃないかって。お金払えば進学できますから(笑)

ミヒロ:なるほど(笑)

Hicoさん:楽な方を選んだのですが、そこからイラストレーションですとか、デザインの雑誌とかも目にするようになったので、基本はそこから始まっているんです。

ミヒロ:1年生の1学期に、そもそもデザイナーになろうというのは、何があってなったんですか?

Hicoさん:きっかけは、当時のPARCOのCM(コマーシャル)ですね。
「カッコイイーーー!」と思って。当時は山口はるみさんというエアブラシのイラストレーターの方のCMが流れてたんですけども、それがカッコイイと思って、グラフィックデザイナーになろうと思いました。

当時は音楽的にテクノポップスが流行っていて、プラスチックスというバンドがあって、そのメンバーに立花ハジメさんがいらっしゃって。
立花さんはグラフィックデザイナーでもあるので、自分たちのレコードジャケットも作っていらしたので、「これだ!」と思って!

バンドをやって、CMがカッコイイと思って、バンドとグラフィックを一緒にやっている方がいて、バチバチバチとピースがハマっていって、「これっきゃない!」と言うことで。

それをカウントすると、16歳にまだなってませんから、15歳にデザイナーになろうと思って、勉強し始めたので40年ぐらいですね。

ミヒロ:うーん、すごい!
なりたいと思った1年生のとき、まだ専門的な学校に行っていないその間は、デザインに関するどんな勉強とか、もしくはチャレンジをしたんですか?

Hicoさん:当時からイラストレーションという雑誌がありまして、永井さんや空山基さんというイラストレーターの方々がすごく頑張っていらして、もちろんPARCOの広告をやっていらした山口はるみさんも第一線で活躍されていて、そういう方々の情報を交えながら、イラストレーションの雑誌なので、そんなイラストレーターの方々の作品が使われている広告が紹介されていたり、

そのうちデザインの雑誌も出始めるようになって、それらを目にするようになり、専門学校進学前には西武百貨店のCI関係の本を、結構厚いんですけど、高校生の段階で手にして買ったりとか・・・もっぱら当時は本からの勉強でしたね。

ミヒロ:作品に触れるということをやったということですね。
広告作品だと見るとか。

Hicoさん:そうですね。インターネットはもちろんありませんでしたからね。
東京の一流の仕事を実際に見ることはできなかったので、雑誌でしたね。

ミヒロ:じゃあ、そのときはまだ作るという過程には至ってない?

Hicoさん:もう全然ですね。高校生だったから。
美術部に入っているわけでもなく、ただただ「デザインカッコイイ!」と思いながら、まだバンドもやっていた頃でしたね。

ミヒロ:その頃は、趣味でイラストを書いたりとか、そういうこともやってないんですか?

Hicoさん:まったくですね。

ミヒロ:まったくなんですか?

Hicoさん:ええ。当時イラストに関しては。
一昨年、しゅうしゅうの(仲間のニックネーム)問塾(質問の講座)を受けるまでは、自分で描くのはイヤだったんで。

ぼくはグラフィックデザイナーで、イラストレーターじゃない!って、線引大好き人間だったので。

ミヒロ:なるほど。

Hicoさん:コピーは、どうしてもコピーライターの原稿が上がってくるのが待ちきれなくて、自分で原稿書いてコピーを書いてプレゼンテーションはありましたけど、さすがにイラストレーションまで自分で、という気持ちにはならなかったので、描いたことはなかったですし、描いても自分の線がすごく嫌いで、やっぱり下手だなぁと思って。

しゅうしゅうの問塾を受けたときに「Hicoさん、何か発信したら?」ということで、「ブログとか1回やろうと思ったんだけども、長続きしなかったんですよね」という話をすると、しゅうしゅうに「グッとハードルを低くして、何でもありでやったらいいんじゃない?」ということを言ってもらえてすごく気が楽になって。

それで、写真でもいいし、イラストでもいいし、文章でもいいと思って始めたんですよ。下手でも何でもいいっていう、いわゆるタガが外れた状態になったんで描き始めたっていう・・・それが2年前ですよ。本当に。

ミヒロ:えー!それは驚きですね。
グラフィックデザインの話に戻ると、高校を卒業して専門学校に行ったってことなんですか?

Hicoさん:はい。

ミヒロ:そこで何年間ですか?

Hicoさん:2年間です。

ミヒロ:2年間学んで、その後どこに行ったんですか?

Hicoさん:そもそもがPARCOの広告、いわゆる流通ですね。ファッションビルの広告を見て「カッコイイ!」と思ったんで、専門学校で大好きだったグラフィックデザインを1等で卒業して、流通の仕事をやっている会社に就職しました。

ミヒロ:それは北海道だったんですか?

Hicoさん:いや、渋谷ですね。

ミヒロ:学校も東京?

Hicoさん:学校は北海道です。会社が札幌の仕事もやっている、渋谷の会社だったんです。

去年、バーバラ(フランス在住の画家)とミヒロさん達との仕事で、渋谷の桜丘町の坂を上がった所に行きましたよね、そのすぐ裏に事務所がありました。

そこで千葉のファッションビルの仕事をして、横浜の桜木町の駅ビルの仕事も新卒ですぐに任せていただきました。

ミヒロ:へー、すごい!

Hicoさん:桜木町の駅ビルなんですが、当時MM21という三菱地所の開発が始まろうとしていて、三菱地所の事務所側のビルの上にあり、そのビル自体も三菱地所のもので、みなとみらいの開発の前ぶれのときだったんですね。
みなとみらいの一角のラウンドマークの広告も、その会社はずっとやっていましたね。

ぼくはそのときは辞めていましたが、そのような会社に就職させていただいて、千葉のファッションビルと桜木町の駅ビルの仕事をやって1年半くらいしたところで、今度はその会社の札幌の事務所が、マルイ前と百貨店のリモデルをやると、ロゴも新しいものが出来てきたということで、「高橋くん、札幌を手伝ってきてくれ」と言われました。

実家のすぐ近くでしたし、それで転勤になってこっちに戻りました。

2. 「君に足りないものは何だと思う?」という問いの答えが、考えても分からなくて

ミヒロ:高校生のときに夢見た仕事を、専門学校で力を身につけて、実際にやった、その時期の感覚というのは、どういう感覚や感情だったんですか?

Hicoさん:学生のときも勉強はしてましたけども、やはり勉強した範疇にはない現場の感覚というものがありました。

いちばん最初の仕事のときに、会社の社長が「君に足りないものは何だと思う?」という問いをぼくにしてきたんですね。

考えても考えても分からなくて。
足の裏に汗をかくようなカタチで、何日間も悶々として。

でも、仕事の締切が迫ってきて、その答えが出ないと済ませてくれなかったので「分かりません」ということで、社長に謝りに行ったんですね。「教えてください」と。

「君に足りないものは夢だ」と社長は言いました。

ミヒロ:ほう〜、なるほど。

Hicoさん:「夢が足りない」って・・・確かに。

「多くの方は、広告というものを見て夢を見るんだ。君はそれを作らなきゃいけないんだ。君が夢を見ないで、その広告を見た人が夢を見ることができるか?」

ズキューン!ときて。
もうそこからですね・・・泣き笑いの人生(笑)

ミヒロ:じゃあ、その言われたときは、夢は持てなかったんですか?

Hicoさん:理詰めで「これがこうしてこうなるから、この背景はこうあるべきで、そこのモデルはこんな人がいいだろう。」でも、理詰めでいっても夢というものが分かっていないので、突き詰めるとそのモデルはぼくの好みなんです(笑)

一応、自分の中で筋道は立てて考えてはいるんですけど、夢だとかターゲットが分かっていないということなんですね。表現しなきゃいけないものが、最終的に分かっていないというところで作っているものなので、全部なし崩し的になるわけですよ。

『夢』というキーワードを教えていただいて、その仕事に見合ったコンセプトを捉えたときに、背景はこうで、モデルさんはこうこうこういうような人で、こういう洋服を着こなせる人がいいなということを、そのままクライアントにお話して、納得してもらえるようなロジックを組み立てられるようになったんですね。

そんなことを叩き込まれましたね。

ミヒロ:なるほどーーー!!!(しみじみ)
Hicoさんに『魔法の質問』のデザインを手伝っていただけるようになって、いろんな提案があるじゃないですか?
確かに、そう言われたら『夢』を感じるんですよ!

Hicoさん:そうですか、嬉しい!

ミヒロ:でも、「君は夢が足りない、夢が大事だ」と言われるじゃないですか、それですぐに『夢』って持てるものなんですか?

Hicoさん:ぼくの夢というよりは、何ていうんでしょう・・・
ぼくがこれから作ろうとしている広告を見た人たちが、「あ、素敵ね」って夢見られるようなものを作ることが『夢』なんです。

「君がやろうとしているこの仕事には夢がないんだ」と言うのは、企画書のラフというか絵みたいなものが、理詰めで「こうでこうでこうで・・・こうなってるよね、だから何?って話なんだよ」と。

「うわー、いいね!って思えないんだよ」と。

ぼくのフィルターを通した言葉で言うと、もしかしたらそれはグラフィックデザインはその仕事の魂なのかもしれません。
「君のこのデザインに欠けているのはそれなんだよ」と教わったような。

それまではきっと自分よがりだったと思うんです。
素人の人によくありがちな「自分はこれがいいと思っているんだけどな」と思って出して、プロフェッショナルが見ると、「だから何?」「何が言いたいんですか?」っていう・・・

ミヒロ:今の話はどんな仕事にも通じるような気がしていて、お客さまに理詰めで「こういう価値があるでしょ」っていう説明じゃなくて、お客さまが未来だったり、夢だったりを描けるようなエッセンスが大事だってことですね。

Hicoさん:そういうことですね。
このカップ(目の前の)の良いところも、それはそれで大切なんですけども、「このカップを持つと、なんか豊かになるよね」、「この黄色でね、波打ってるところが素敵じゃない?」・・・

これが素敵だと思えて、素敵だという価値があって、更に「実はこれはマイセンでね、こうこうこういう作り方をしていて、なかなか今では珍しい作り方なんだよ」というような別のストーリーが加わるとすごくパワーアップするじゃないですか。

ミヒロ:ストーリーでもあるんですね、必要なのは。

ミヒロ:今日会ったときに持ってきていただいた、『LIFE TREE CARD]』のCDジャケットは夢がありますね。

Hicoさん:はい・・・そうですね!『夢』ですね。

ミヒロ:『夢』ですね。
なんか、楽しく想像できる要素っていう感じですね。うん。

3. やったら必ず実際の作品になって、仕事になって、インクの匂いを嗅げて

ミヒロ:東京でデザインの仕事をして札幌に移って来て、その後はどうなったんですか?

Hicoさん:転勤でひと夏というお話だったんですけども、それが結局 百貨店1軒のリモデルが翌年始まって2年くらいかかったんですね。それが終わるまでやらせていただいて。

当時、新卒でその会社に入って、1年半後に転勤で札幌に戻されて、そこから2年くらい百貨店のリモデルに関わりましたから、23、4歳なんですね。

23、4歳なんですが、百貨店1軒の広告料たるやスゴいんですよ。各フロアで。
たとえば飲食の催事やなんだかんだ、イベントがあり、ハガキ出します、パンフレット作ります・・・それらがすべての各フロアで動いていくんですね。

そのディレクションを2年間でやることになり、たかだが23、4歳の若造が35〜40歳過ぎの大先輩デザイナー達に、ぼくが百貨店の売り場や販促で聞いてきた話をディレクションするわけですよ。

「今回のこの催しは、こういうところが肝なので、それを表現してくれないか」等、ざっくばらんに言うとそんな話をするんですね。

当時は系列会社の最高峰が伊勢丹新宿だったので、よく参考に出していたんですけど、「ちなみに伊勢丹さんではこんな表現をしてます」とか、そんな例をいくつか見せながら、「より良いものを作っていきましょう」と23、4歳の若造がオジサマ方に話し、もう一方では、百貨店の売り場や販促の方々に説明し、プレゼンテーションをする、それらを2年間やって、ディレクターという仕事を教えてもらえたんですね。

百貨店の次に、その隣に昔はファッションビルがあったんですね、今度はそこのディレクターをやれ、と言うことで、そこで3、4年くらいはいました。

なかなか東京に返してくれなかったので、「東京に行きたい」と話すと、「東京はいっぱいだから」と言う話だったので、「じゃ、辞めます」と。

そこで流通系の仕事は一回辞めました。

ミヒロ:へぇ〜。そして?

Hicoさん:そして東京に行って、これが2回目の東京ですね。
最初渋谷に就職して、札幌に転勤になって、また東京に行った。

その当時は一通りの仕事をやったつもりだったんですが、東京の一流のデザイナー会社というのは、流通よりも商品広告のデザイナーがいいわけですよ。

なので、ぼくがやってきた流通の仕事というのは、本当にごく一部の仕事なので、どこのプロダクションに行っても「高橋さんの力量は分かった。ぜひ今度は商品広告を見せてもらいたい」と、何処に行っても言われるんですね。

ミヒロ:へぇ〜。

Hicoさん:それで商品広告というものをやらないといけないんだなぁ、と理解し、商品広告をやっている会社の面接を受けようと探しました。

前の会社の撮影は全部東京でやっていたので、そのときにスタイリストやカメラマンに「今、仕事を探していて、どこかいいところはないでしょうか?」と伝えてもいて、その紹介からの会社が、当時、三菱自動車やシャンパンのヴーヴ・クリコ、JT日本たばこですとか・・・それらの商品広告らしい商品広告をやっている会社で、ちょうど「30歳くらいのディレクターを探している」ということだったので、ピッタリと条件にもハマり、そこで働くことになりました。

ぼくは、日立製作所と九州電力、カルティエ、ヴーヴ・クリコを任されたんですね。それらは自分の持つ仕事なんですが、会社としてもどんどんいろんな仕事が入ってくるので、それは会社の社長の名のもとに、社員全員で一緒になって仕事するんですけども、プレゼンテーションが多くて。

例えて言うと、車の広告、TOYOTAでも三菱でもどこでも同じなんですけど、車一台の広告がCMで放送されたり、雑誌広告になるまで、ほぼ1年くらい前から始まるんですね。

1年前から始まって、毎週 車のメーカーにプレゼンテーションするんです。
毎週、毎週、プレゼンテーションなんです。

そのプレゼンテーションの、一月のプレゼンテーションフィー、代理店から入ってくるお金が600万〜700万円するんです。
なので、ある意味その事務所は、実際の広告をやらなくてもその金額で食っていけるんです。

ぼくら社員としては、実際の仕事にならないプレゼンテーションなので、会社辞めて「自分の作品はこれです!」と言うときに、作品として出せないんですよ。

その会社に2、3年いて、自分の作品があまりできなかったんで「ヤバい」と思って、残るかどうしようか迷ったんですが、結局辞めて札幌に戻ってくるんですよ。

ミヒロ:へぇ〜。その札幌に戻ってきた理由は何ですか?

Hicoさん:百貨店とかの仕事をやっていたときに、やったら必ず実際の作品になって、仕事になって、インクの匂いを嗅げて・・・

東京にいると、多分どの大手プロダクションや代理店に行っても、プレゼンテーション、プレゼンテーションで、多くの会社がそれで仕事をゲットする・・・この流れが主流だったので、いずれにしてもプレゼンテーションはしないといけない。それは今の会社の延長線上だよね、と思って。

札幌に帰れば、実際の仕事、印刷、インクの匂いが嗅げる仕事がたくさん、たくさんできるんじゃないかと思って。

ミヒロ:現場にもっと近づきたいということですね。

Hicoさん:もちろんそうです。

しかもですね、東京にいて大きな仕事になると、たとえば大手車メーカーの仕事をやると、プレゼンテーションだけでも食べられるんですけど、そんなプレゼンテーションを一年間やってきて、「じゃあ、この案で行きましょう」というデッドラインのところで決まって、オーストラリアに行って撮影して、ポスターや雑誌広告も作るんですけど、何を作るかと言いますとポスターだとするとB3版くらいのサイズで一個プロトタイプを作るんです。雑誌広告もA4サイズのものでプロトタイプを作るんです。

以上終了!なんです。

ミヒロ:えー?そうなんですか?

Hicoさん:あとは広告代理店の使っている業者さんで、それを元にしていろんなサイズの雑誌にリサイズしていく。

ぼくのカルティエの仕事は、ぼくのところにカルティエのインターナショナルマニュアルというものがあって、ぼくがいろんな雑誌に合わせてカルティエの広告をリサイズしてやっていたんですけど、車なんかの大きなキャンペーンと言われている仕事は、グラフィックデザイナーの事務所がプロトタイプを作って以上終了!です。

だから立ち上がってすぐなんかは、本屋に行くと、この雑誌あの雑誌も自分がプロトタイプを作った雑誌広告なんですけど・・・でも自分が作ってないんですよ。

ミヒロ:なるほどねぇ。

Hicoさん:作った実感がないんですよ。

ミヒロ:でもデザイナーとしては、実感は欲しいですよねぇ。

Hicoさん:そうなんです。そうなんです。
ぼくは割と人一倍、使うインクだとか、使う紙の素材だとか、マテリアルって凝っていたんで、本当にこれが残念で残念で仕方ないのが東京にいた頃です。

すごく規模はデカくて、派手な仕事なんですけども、なんて言ったらいいんでしょう・・・やった感じがしないというか、実感が持てないというか。
それが東京でしたね。

 
▼インタビューは後半はこちら
人間って、間違ったりする。最終的に『温かさ』を感じられたら。

 
Art Director
Graphic Designerの
高橋 宏比公さんも登壇予定!

しつもんカンファレンス
2019年11月9日(土)10日(日)

Filed Under: 自分探し, 仕事, ライフスタイル Tagged With: デザイン, 夢, アートディレクター, グラフィックデザイナー, 作品, マテリアル

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プロフィール


マツダミヒロ

質問家。「魔法の質問」主宰。
時間と場所にとらわれないビジネススタイルで世界を旅するライフトラベラーでもある。 各国で「自分らしく生きる」講演・セミナー活動を行う。 著書は国内外で35冊を超え、年間300日は海外に滞在。

独自のメソッドの「魔法の質問」は世界各国に広がりインストラクターは5,000人を、 メルマガの読者は5万人を超える。 NHKでも取り上げられた「魔法の質問学校プロジェクト」では、ボランティアで世界各国の学校へ訪問。

『質問は人生を変える』(きずな出版)『賢人たちからの運命を変える質問』(かんき出版)ほか著書多数。
→著書をチェックする(Amazon)

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