今ある環境から素直に学び、チャレンジし、理想の生き方や働き方の道なき道をつくってきた由依さん。
自身で感じた窮屈さや世の中の常識に適応していくのではなく、そう感じたからこそ、その先を目指すバイタリティは幼少期から培われたもの。
いただけるチャンスにひたむきにチャレンジし、関わり合いも大切にした結果、それらのすべてが自らを助け、磨き、スキルになることを実証。
場所や時間に縛られず、思考にもとらわれずに生きるライフスタイルが、次世代に夢を与え、輝く人も増やしていく!そんな上村由依さんのインタビューです!
上村 由依
itty selection Inc. CEO
https://www.ittyselection.com/
1.「 起こる物事には意味があるから、どういう意味か考えなさい」と言われた環境の中で
マツダミヒロ(以下、ミヒロ):由依ちゃんとの出会いはクルーズですよね?
上村 由依(以下、由依ちゃん):はい。バルセロナで財布を取られたクルーズ(笑)
ミヒロ:ぼくのクルーズセミナーに来ていただいて。
由依ちゃん:友達がミヒロさんのファンで申し込んで、ついていくという・・・
ミヒロ:せっかくのクルーズ旅が財布を取られてしまって、最初はどんな気持ちだったんですか?
由依ちゃん:ショックと言うより驚き・・・「お財布ないけどどうするの?」みたいな驚きですね(笑)
ミヒロ:悲しみはそんなにありませんでしたか?
由依ちゃん:悲しみはそんなにありませんでしたが、でも・・・驚き、衝撃。
NYに住んでいたので海外は慣れていて、絶対に大丈夫と思ってましたし、細心の注意を払っていたので「なんでだろう」っていう(笑)
ミヒロ:普通の旅行者の人だと、そこで落ち込みやすいのだけど、メンタリティーとしてはそういう感じにはならなかった?
由依ちゃん:でも30分くらいは落ち込みました(笑)
その後「悔しい!」でしたね。
ミヒロ:へぇ〜。
考え方のコツというか、どういうことを意識しているんですか?
由依ちゃん:そのときは「しょうがない」ですね。
「落ち込んでたらもったいない」というのと、不幸中の幸いが結構あったので。
パスポートはあった、とか、友人と一緒に行っていたから「カードは2枚あるから、貸してあげれるよ」とか、クルーズなので先に料金を払っていて船の中はほとんどのものが無料・・・ということもありましたし。
お財布を失くしたことで、ミヒロさんやWakanaさんとも仲良くなれました・・・仲良くなれたというか、お金を貸してもらえました(笑)、それがあったので他のメンバーからも「どうなの?お金すられたの?」という感じで仲良くなれました。
ミヒロ:今のお話を聞くと『どうしようもないことはただ受けとめるだけ』ということと、『良くないなということが起きても、その中で良いことは何かな?』って考えるんですね?
由依ちゃん:そうですね。あと、『自分にとってそうするべきことがあったから、これが起きるんだ』という風に思います。
ミヒロ:なるほど、なるほど。
そのように考えるようになったのはいつからですか?
由依ちゃん:結構小さいときからなんですけど・・・
ミヒロ:え?小さいときから???
由依ちゃん:本当に体現できるようになったのは、大人になってからですけど、小さなときからお母さんに「起こる物事には意味があるから、どういう意味か考えなさい」って言われて育ったんですよ。
ミヒロ:へぇ〜。そういう教育なんだ。いいね!
由依ちゃん:だからそれがずっと頭にあって、「なんでこれが起こった?もしかしたら反省すべきことがあるのかも」や「良いことにつながっているかもしれない」ということを考える癖はついています。
でもさすがに、「とは言え、なんでこんなことがわたしに起こらなきゃいけないんだ?」と思っていた時期も長いんですけど、大人になるにつれて、それが変わりました。
ミヒロ:小さいときからの考え方、お母さんたちから教えてもらったことが大きいんですね。
由依ちゃん:そうですね。そう言われてましたね。
ミヒロ:ちなみに、他にも母の教えは何かあります?
由依ちゃん:母の教えは・・・関西人に多いんですけど、「何でそれがやりたいのか?」「何で欲しいのか?」みたいなことを自分で考えなさい、と。
うちは特にそうだったんですけど。
「みんなと一緒」「あの子がやってるからしたい」「あの子が持ってるから欲しい」みたいなことは該当しないんです。
「そこに自分の意志はないのか?」みたいな(笑)
「よそはよそ、うちはうち」みたいなことは関西人に多いと思います。
ミヒロ:「なぜか?」という問いを、自分にする機会が結構あったんですね?
由依ちゃん:ありましたねー。それでプレゼンして。
ミヒロ:家で?
由依ちゃん:そうです(笑)
うちは結構、何でもやらせてくれて、何でも買ってくれたんですけど、『自分の言葉で表せれたら』買ってもらえるし、やってもらえるという家庭でしたね。
ミヒロ:自分の意見を持つとか、伝えるということも、小さい頃からやってきたことなんですね?
由依ちゃん:そうです。
ミヒロ:そのことと、NYに行ったことは関連があったりするんですか?
由依ちゃん:あると思います。わたしは奈良県で生まれ育ったんですけど、そういう家庭で育っているので、自分の意見は言うし、自信もある子だったんです。
そうすると小さい田舎だったので、先輩たちにイジメられたり、本当にどつかれたり、しばかれたりしてたんですけど・・・
ミヒロ:へー、理由は?
由依ちゃん:理由は生意気だから(笑)
親が、お友達の多い人だったんです。奈良県なんですけど、京都や大阪の友人がやって来る、その子どもも、お兄ちゃんやお姉ちゃんもいっぱいいる状態で育ちました。
大阪や京都の人はお洒落なので、髪を染めたり、いち早くルーズソックス履いたりして真似してたんで、奈良では目立って先輩に怒られたりしてましたね。
ミヒロ:なるほど。ちょっと窮屈に感じてたんですね。
由依ちゃん:すごく窮屈でした。
窮屈だったんで「どうしても奈良から出たい」と言って、私立の大阪の高校に行ったんです。
大阪の高校はイジメたりすることはなかったんですけど、校則が厳しかったんです。お嬢様が行くような学校だったので、髪は絶対染めてはダメ、メイクをしてはダメ、スカートの長さも決まっている・・・
当時の大阪はスカートが長いスケバンみたいなものが流行っていたので、普通は「スカートは長くしなさい」って言われるところを、わたし達は「短くしなさい」って言われていたんです(笑)
でも、それでも窮屈だと思うことが続いて、「もう少し広い世界を見たいな」と思って、東京の大学に行ったんです。
当時は、関西から東京の大学に推薦ってなかったんです。
関西にもいっぱい良い大学があるから、ほぼほぼまわりは関西の大学に行くんです。
だからわたしは、一般入試とセンター試験で東京の大学に行きました。
青学に行きたかったんですけど、すごく難しくて受からなかったんですよ。
それで第二志望の駒大に行ったんですけど、駒大は関西からの推薦がなかっただけで、推薦でみんな、エスカレーター式に勉強せずに来てる方がほとんどで、しかも渋谷から3駅、大学の裏には大きな公園もあるから、遊び倒していて(笑)
わたし一生懸命勉強して来たのに・・・大多数が流されるんですよ。
なのでわたしも遊んでたんですけど、「こんなために来たんじゃないけどなぁ」という気持ちが積み重なって、「だったら早く仕事したいな」と思って、大学を辞めることにしたんです。
中退して、アパレルの企業ワールドさんに入って、池袋の店舗で売ることからやってたんですけど、もうあと1年したら みんな就活してちゃんとした企業に入っていく・・・でもわたしは服を売ることで頑張ろう!と思い、入って3ヶ月目位から、個人売上1位を基本的にずっとキープしていました。
でも、出世は年功序列で。
「わたしが服を売っているのに、何も売っていないあの人が出世していく」みたいな(笑)
ミヒロ:なるほど。何かと窮屈だね(笑)
由依ちゃん:それで、「実力主義のところに行きたい!」、場所が池袋だったので、当時から外人さんのお客さんが多く、「日本の人には売れるけれど、英語を喋れないから海外から来る人には売れない。だから英語を喋りたい!」、それと「ファッションでいつまでも服を売っていてもしょうがないから専門スキルを身に付けたい!」、デザイナーかバイヤーになるのか・・・
この3つが揃うところと言ったらNYかな?と思って。
ミヒロ:そこで普通NYって思いつく?(笑)
何でNYがポンと出てきたんですか?
由依ちゃん:友人が何人かNYに行っていたから、ということもありますし、海外でファッションが学べると言ったら、NYかロンドンか、フランスくらいしか思い浮かばなくて。
でもフランスはフランス語だから論外で、英語をイギリスかNYかのどちらかで学ぼうか迷ったんですけど、ロンドンは旅行で行ったことがあったんですよ。
それで、そんなに自分にマッチしてなかったことを思い出して。
あと、「ヨーロッパにあるものは、NYには何でもあるよ」と誰かが言ってたんです。それでNYに行こうと思いました。
2. 手段ではなく、目的を目指そう!
ミヒロ:そのタイミングのときには、海外は何回か行ってたんですか?
由依ちゃん:何回か行ってました。
ミヒロ:ぼくが大学のときのNYは、なんかすごく遠い国みたいな・・・何故かと言うと、大学を出るまでずっと山形にいて、東京にもほとんど行ったことがなくて、海外にも行ったことがなかったんです。
ぼくにはすごく遠い世界だったんですけど、そのときのNYって由依ちゃんにとっては結構近いところでした?
由依ちゃん:うーん・・・でも、長期で海外に行くことはなかったんで、物理的にはそんなに遠いという気持ちはなかったんですけど、気持ち的にはすごく遠いし、寂しいなぁって思ってましたね。
本当に向こうに着いてから2ヶ月くらいは、毎日泣いてました。
ミヒロ:へぇ、そうなんだ!!!
何週間も泣いた経験というのは、それまではあったんですか?
由依ちゃん:あ、でも、東京に上京したときも寂しがりだったんで、大学1年生のときはピーピー泣きましたし、週末毎に関西に帰ってました。
ミヒロ:そう・・・
NYに行って、どんなことをしたんですか?
由依ちゃん:まずは語学学校に入ったんですよ。本当は半年の予定だったんですけど、実際2年ちょっといたんですけど。
半年間のホームステイを契約してたんですが、殺気立っているお婆ちゃんの家だったんです。英語も全然分からないときだったので、すごく怒られているのは分かるんですが、何を言われているのか分からないくてイヤで、1週間で辞めて・・・
ミヒロ:え?
由依ちゃん:絶えられなかったんですよ、本当に。
それで不動産屋を探して、ルームシェアをする人を探して、日本人と韓国人とインド人でシェアすることにしたんです。
語学学校は、ランク分けでクラスが決まるんですけど、わたしの英語レベルの教室に行ったら日本人が何人かいて、彼女たちに「NYにどれくらいいるの?」と聞いたら、半年とか1年って言っていて・・・
それを聞いて、半年〜1年でわたしと同じレベルなんだ、ここに居ても英語は伸びないぞと思って、早々に英語じゃなくて、もうまずファッションを始められるようにしようと思って。
あと数ヶ月しかないNY期間だからと動きましたね。
ミヒロ:そこがポイントのような気がして、目的と手段があったときに、みんな手段を目的にするんですね。今の話で言うと、ファッションを学びたい目的、そのためには英語という手段が必要、だから英語を学ぼうなんだけど、今の話だと本来の目的を目指そう!ってことですよね。
由依ちゃん:そうです。
3. 素直で、行動が早いのはすごく前進する要素
ミヒロ:そして、ファッションを学び始めた?
由依ちゃん:いろいろ探していたら、さすがにファッションでどうこうって見つからなくて、どうしよう・・・と思いまして。2,3ヶ月くらい経ったんですよ、語学学校だけに通っているだけの時間が。それで焦っていろいろ調べていたら、現地の日本人大学生向けに、マイナビさんが主催している就活セミナーを見つけたんです。
そこに行ってみて、200人くらい集まっていたんですけど、そこでスピーカーをしていた方がわたしの師匠なんですが、すごく面白くて、「こんなカッコイイおじさんに出会いたかったな」みたいな人だったので、講演が終わった後に彼を掴まえて、「こんなことをしにNYに来たんですけど、どうしたらいいですか?」と聞いたら、「ファッションの中でも、PRっていう仕事をしたらいいよ」と言って下さって。
PRって何か分からなかったんですけど、彼が言うからには面白い仕事なんだろうなと思って、帰ってネットで「ファッション PR」と検索して、50社くらいメールを送ったんです。
そうしたら1社、日本人の女性がやっているファッションのPRライターを探していて、誘ってもらえることになったんです。
ミヒロ:へぇ〜。素直なのと、行動が早いね。
由依ちゃん:行動早いです(笑)
ミヒロ:素直で、行動が早いのはすごく前進する要素なんだと思います。
由依ちゃん:そうですね。
ミヒロ:それで、その仕事をし始めたんですか?
由依ちゃん:そうなんです。
ミヒロ:NY滞在中は、PRをずっとやっていたんですか?
由依ちゃん:それと、めっちゃいっぱい仕事してたんです。
それがまず最初なんですけど、ファッション業界って狭いんで、PRと言ってもわたしがやりたいPRじゃなかったんですね。
結構、つながりだけがすべてだったりとか、誰が権力を持っているからどうのこうの・・・だったんで、違うことをやりたいなと思って、日本人のクリエイターさん達のPRを手伝わせてもらったりとか、現地の情報誌でライターをさせてもらったりとか、友達の不動産のマネジメントを手伝ったりとか、日本食屋さんでバイトしたりもしました・・・
ミヒロ:いろいろやる中の、これはやろう!とか、これはやらないとか、基準はあったんですか?
由依ちゃん:そのときは、いただけるチャンスは全部やろうと思ってました。
あとは、学校に行ってなかったんですけど、お金を払わないとキープができないので、3ヶ月に1回くらい20万円くらいを払うために稼がないといけないというのもありました。
半年分の貯金しか持ってきていなかったから・・・
結局2年いることになったので、そのときはお金が底をついてましたから。
両親に話してお金を送ってもらうことは簡単ですが、NYまで来たし、これは自立するために来てる訳だから「頼らない」と決めてものすごく働きました。
でも、全部楽しかったですよ。
ミヒロ:2年間は、そのような いろんなチャレンジをして終わったんですか?
由依ちゃん:そうですね、チャレンジしまくって。
ミヒロ:それで帰国したんですか?
由依ちゃん:ビザも5年出てたんで、3年くらい居れたんですけど、帰ってきた理由は、師匠とか日本人の経営者さんにすごくよくしてもらっていたんです。彼等は、日本人がビジネスできないところから切り開いてきてくださったので、すごくサポートしてくれるんですよ。
当時、22,3歳のわたしのまわりの男の子たちが向こうで起業していて、「もう会社持ってるよ」みたいな人がいたり、個人で働いている人もいっぱいいて、若いのにすごいなというのはあるんですけど、『先輩経営者さん達がサポートしてくれるからできてるんじゃないか』という考えがあって、わたしもこのまま乗っかっていたら、日本に帰ったときに自分は実力があるのか?と言われたら、ないんじゃないか、と思ったんです。
日本に帰って、また日本でのPRは違うからほぼゼロからのスタートになるときに、「まだわたし、日本でのPRがゼロなんで教えてください」といえる年齢のうちに帰ろうって思いました。
ミヒロ:それが何歳のとき?
由依ちゃん:24歳で帰りました。
ミヒロ:それは名残惜しかったですか?
由依ちゃん:名残惜しかったです!帰りの飛行機はずっと泣いてました。
ミヒロ:来るときも泣いて、帰りも泣いたんだ(笑)
でも、結構な決断ですね。そこにいたらうまくいきそうな気がするじゃないですか。
由依ちゃん:ですね。でも、実力じゃないからと思いましたね。
ミヒロ:その思いはどこからくるんですか?
由依ちゃん:多分、そのときから経営者になりたかったんですよ。
うちの親、男親族が経営者なんです。
お父さんも、お父さんのお父さんも、お母さんのお父さんも、お母さんの弟も。
それぞれお金は持っていて成功していたんですが、四者四様で、うまく成功しているなと思う人もいれば、うちのお父さんはお祖父ちゃんからの会社を引き継いだけれど、1回潰しちゃったりだとか、お母さんのお父さんは大成功したけれど、借金返せなくて自殺しちゃったりとか、いろんな経営者の形を見てきたので、自分はどこかで彼等の無念を晴らしたいという気持ちがありまして・・・
経営していることを楽しく感じられるような経営者になっていきたいなと言う気持ちが漠然とあったんです。それはどうしたらいいのか分からないんですけど、ちゃんと自分で実力をつけないとそこには行けないと思ってきました。
ミヒロ:経営者になりたかったから、そのチャレンジを自分の力で試したい?
由依ちゃん:はい。
▼インタビューは後半はこちら
過去の関わり合い、培った・磨いたスキルが今の自分を後押しする
itty selection Inc. CEO
上村 由依さんも登壇予定!
しつもんカンファレンス
2019年11月9日(土)10日(日)
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