今ある環境から素直に学び、チャレンジし、理想の生き方や働き方の道なき道をつくってきた由依さん。
自身で感じた窮屈さや世の中の常識に適応していくのではなく、そう感じたからこそ、その先を目指すバイタリティは幼少期から培われたもの。
いただけるチャンスにひたむきにチャレンジし、関わり合いも大切にした結果、それらのすべてが自らを助け、磨き、スキルになることを実証。
場所や時間に縛られず、思考にもとらわれずに生きるライフスタイルが、次世代に夢を与え、輝く人も増やしていく!そんな上村由依さんのインタビューです!
インタビュー後半は、どんなことも選べる自由、選択肢を増やす生き方・働き方になるまでを詳しく、楽しく話してくれます。
上村 由依
itty selection Inc. CEO
https://www.ittyselection.com/
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理想の生き方や働き方の道なき道をつくる上村由依さんインタビュー
1. NYから帰国後、目的を持って意図的に繋がりを作り始める
マツダミヒロ(以下、ミヒロ):NYでのPRのキャリアは、日本に来て役に立ちましたか?それとも役に立ちませんでしたか?
上村 由依(以下、由依ちゃん):ほとんど役に立たなかったですねぇ。全然違いました。NYでは下積みで、自分がメインで仕事をできる訳ではありませんでしたから。
帰って来てから勤めた会社は、人数が多い会社ではなかったことから、いきなりポンとプロジェクトを任せてもらえたり、自分がメインで、先輩がサポートしてくださる体制だったので、自分でやるようになりましたね。
ミヒロ:成長しますね?
由依ちゃん:はい、成長しました。
ミヒロ:そこから独立に至るまでには、どんなプロセスがあったんですか?
由依ちゃん:そこからは2年、そのPR会社で働かせてもらいました。勤めているときは大手の企業、クライアントさんがほとんどだったんですけど、わたしがやりかったのは、中小企業やフリーランス、クリエイターの方々のPR。
いいものを作っているけれど、発信の仕方、PRの仕方、お客様の集め方、ファンづくりが分からないという人たちのサポートだったんです。
PR会社って、大体月額5,60万がミニマムですよ、みたいなすごく高い世界なので、小さな企業や個人は払えないんです。それで「どうしたらいいかな?」と考えて、勤めていたときから「PRのことを少しでも発信して教えてあげよう」とFacebookで発信させてもらってたんですね。
そうしたら、周りのつながっていたフリーランスや経営者の方々から「うちも教えてほしい」というメッセージやコメントがすごくつくようになって、「会社でやるのだったら何十万をいただかなくてはいけないけれど、自分ひとりだけで生きていくのなら、それぞれに5万円、10万円ずついただいて、2,30万円は稼げるんじゃないかと独立が自分で腑に落ちたんです。
会社も忙しくて体調も崩したこともあり、辞めようということになって、フリーランスになりました。
ミヒロ:発信していたときに「教えて欲しい」と言った人たちは、どんな人たちなのか知りたいのですが、お友達だったのか、ただネットでつながった知らない人だったのか、どのような感じの人たちなんですか?
由依ちゃん:NYから帰ってきたとき、NYに行って得た成長ってものすごくあって、まるで違う人のようになっていたんです。ただの大学生だったのに、経営者の方々にいろいろ教えてもらえる環境で過ごしたことで、考え方も変わり、物事の捉え方も変わり、視野も広がり・・・
日本で、大学時代の友達に会うと戻ってしまうんじゃないかという気持ちもあり、話も合わないだろうと思ったので、当時の友達とは「会わない」って決めたんです。
それで、NYで知り合った方々に紹介してもらいました。
「自分は次にフリーランスになりたいから、フリーランスの人を紹介して」と頼んで会いに行ったりとか、仕事を定時に切り上げてフリーランスの方がいっぱいいるBARに行き、お友達になっていきました。
ミヒロ:意図的に繋がりを作っていったんですね?
由依ちゃん:そうなんです。ちょっと先にいる人から繋がりを作って。
ミヒロ:そこが大きな違いのような気がする。
由依ちゃん:大きな違いだと思います。
ミヒロ:それで、自分が得意なこと、できることを発信していったら、マッチしていたんですね?
由依ちゃん:そうですそうです。
2. 自分が培ってきたこと、実績、やってきたことが助けてくれた!
ミヒロ:PRの仕事の独立はスムーズだったんですか?
由依ちゃん:そうですね。「食べていけないんじゃないか?」みたいな不安はない状態でしたね。独立して、窮屈になんとか頑張っている経営者の方には罵声を浴びせられたりしたことはありましたげど(笑)
ミヒロ:邪魔されたり(笑)
由依ちゃん:そうですね。「そんなことで成功しない」と言われたこともありました・・・(笑)
わたしは他の人が独立するときみたいに、賭けで独立した訳じゃなく、「できる!」と思った状態になってから独立したので、スムーズな方だったと思います。
ミヒロ:それで進んでいき、他の会社とは違う経営の仕方、体制、環境だと思うのですが・・・
家がないんですよね?
由依ちゃん:家がないです(笑)
ミヒロ:最初は家があったんですか?
由依ちゃん:ありました、ありました。ずっと東京に住んでました。
ミヒロ:家をなくすキッカケは?
由依ちゃん:なくすキッカケが、「家を持たないようにしよう」と思った訳じゃないんです。
フリーランスで2年、その後法人にしたときが2016年の9月なんですけど、法人にしていたときに同棲していたんですよ。クルーズに行ったときは同棲していたんですけど、そのときの彼が出ていっちゃって、別れたんですね。
会社にしたばかりだし、仕事を頑張らなきゃというときで・・・しかも会社にしたということで、結構周りの反応が変わったりとか、陰口を言われるようになったりとか、それを何故か耳に入れてくる人とかもいたんですね。
そういうことが起こり、精神的にしんどくなったときに、彼氏まで出て行っちゃって・・・メンタル的にどんよりしまして。
だけど会社にもしたし、付いてきてくれる人たちもいたし、仕事頑張らなきゃというときで・・・このまま同棲していた家には、思い出が詰まりすぎて居れない・・・それで出て解約したんですが、東京でパッと出の社長に家を貸してくれるところなんてないんですよ、審査が厳しくて。
家を探す気力もない、仕事はいっぱいある・・・
とりあえず、ホテルに泊まろうと。
家を探す気力は湧かずに半年くらい過ぎた頃、帰る場所がいつも違うので仲の良い友だちにも感づかれました(笑)それで、仲の良い友だちだからとポロっと話したら、「でもホテル暮らしってすごく憧れている人多いんだよ」って言われたんです。「え?そうなの?なんで」と聞いたら「ホリエモンがしてるんだよ」と言われて。知らなかったんですけど(笑)
わたしはコソコソしていたんですよ。
彼と別れたこともツッコまれたくなかったし、落ちぶれたと思われたくない。でも「ホリエモンがやってるならいいや。堂々としちゃえ!」と思って、堂々とするようになりました。
ミヒロ:でもそれが続いたということは、そのスタイルを気に入り始めたんですか?
由依ちゃん:そうなんです。
陰口なども言われていたこともありまして、東京にいることが窮屈になり、リモートで仕事ができるとは思ってなかったんですけど・・・
いや!できるだろうとは分かっていたんですけど、どうやっていいのか分からなかったんですが、メンタルも持ち直したかったので、月に一週間ほど奈良に帰る生活を何ヶ月かしてみたんです。
奈良にいる間も仕事はできるし、オンラインでミーティングもできることが分かってきて、「東京にいなくてもいいわ」と思ったんですね。
それで「東京にいなくていいなら、ハワイに行ってみよう!」と思って、ハワイに3ヶ月くらい行きました。徐々に移動が広がって行きましたね。
ミヒロ:今もそのスタイルが続いているんですか?
由依ちゃん:続いてますね。もう2年半ぐらいだと思います。
ミヒロ:会社はあるけれど、場所にとらわれずに働いている感覚はありますか?
由依ちゃん:そうです。全然場所にとらわれてないです。
ハワイに来たとき、「3ヶ月もハワイに来てたら、さすがに東京の仕事はなくなるかもしれない」、「会社もつくったけれど、やめることになるかもしれない」と、覚悟も決めて来たんです。「最悪、しょうがないな」と。
でも、「帰ったときにサービスができるものを何か考えよう」と、「できることはハワイでやろう」と思っていたんです。
東京で疲れていたことなどが回復してきた頃、「こういう理由でハワイに来たんですよね」とFacebookで投稿したら・・・東京の友人たちも「そんなことがあったんだね」、「わたしは東京で待ってるよ」、みたいなコメントやメッセージをくれて、「ハワイに友達いるから紹介するよ」等と、励まされる機会がありまして・・・
ハワイでもつながり、今やっている仕事もできるんだと知ったら、自分が培ってきたこと、実績、やってきたことが助けてくれた!と思えました。
自分に専門スキルがなければ、一緒に仕事をすることにはならないので、ただただやみくもに苦労をしていたのではなくて、今までやってきたことが助けてくれたなぁ・・・と。
それに、NYで出会った人たちが、ハワイに友達がいる人があまりにも多かったんです。距離は遠いけれど、つながりが深い友人たちを紹介してくれ、いろいろ助けられたり、今までのことが自分を助けてくれたということが続きましたね。
ミヒロ:『過去の関わり合いがある人たち』と『過去に培った・磨いたスキル』というものが重要なんだね。
由依ちゃん:そうですね。それに助けられました。
ミヒロ:それがあればどこでも大丈夫?
由依ちゃん:あ!そう思いました!
3. 『証拠』が集まったら絶対できるようになる
由依ちゃん:日本に帰ってからも、東京に家を借りる気がなかったので、そして東京のホテルは高いので、いつまでもホテル暮らしをやってられないという気持ちもあり・・・
あまりにも高いときは友達の家に泊まったりしていたんですけど、「地方の方が安いよね!」と思い、それで地方に行くようになったんです。
福岡とか行ってみたらすごく好きになって、「由依ちゃんが行くなら、友達に紹介するよ」という連絡も、ものすごくいただくんですよ。それで福岡でも、沖縄でも紹介してもらったりしました。
ミヒロ:友達から紹介してもらって、そこからまた仕事につながったりするんですか?
由依ちゃん:そうなんですよ。
ミヒロ:最高だね(笑)
由依ちゃん:結局、今までやってきたことを引っさげてるんです。
別に荷物にもならず、自分の脳ミソを引っさげていけば仕事になるということに気づいて、何処に行っても友達もいっぱいできるし、何処に行っても仕事も増えていく。
逆に休める場所がなくなっていくんですけど(笑)
ミヒロ:わかる、わかる(笑)
自分で仕事をしていて、フリーランスの人でも、応援されている人でもいいんですが、「わたしはここから離れたら生きていけないんじゃないか」と思っている人たちにメッセージがあるとしたら、どんなことを伝えたいですか?
由依ちゃん:よく言っているのは、「証拠集めをしてください」です。
絶対に「できる」という証拠集めを。
今、本業があるというのは良い状態だと思っていて、わたしがやったようにFacebookで発信することからテストマーケティングみたいなことができるじゃないですか。「これは売れるのか、売れないのか」、みたいなことが分かってくるし、売れると思ったらそれは1個の証拠だし。
自由な働き方をしたいと言っても、それがどういうライフスタイルか分からなかったら絶対にできないんで、「そういう働き方をする人に出会ってください」と言っています。
少し先にいる人たちにたくさん会い、それは本を読むでもいいんですけど・・・
証拠が集まったら絶対できるようになるんで!
わたしは経営者として証拠を集めて、できるという確証を得ないとできないんですよ。意外とすごい行動派と思われてるんですけど、成功する可能性の低いものは絶対できなくて。「成功するかどうか分からないけどやってみる」というのは博打だと思うので。
たとえばハワイに来たときに、東京の仕事がなくなっていたとしても、自分ではPRという今後まだまだ日本で需要があるスキルを持っているので、帰国して就職してもいいと思ってたんですよ。
戻れる場所があり、その場所がすごく下がる場所じゃなく、ある程度自分が納得する場所があると分かっていたので、できたというところがあるんです。そういう確証を得てからやってほしいなと思います。
ミヒロ:なるほどね。証拠をたくさん集めるというのはいいね。
これからやりたいことはありますか?
由依ちゃん:これからやりたいこと?!
ミヒロ:取り組んでいきたいことでもいいです。
由依ちゃん:自分みたいなライフスタイルをおくれる人を増やすことが幸せだなと思いますね。
ミヒロ:何かに縛られず、とらわれず、生きていけたらいいよね、みんな。
由依ちゃん:そうですね。わたし自身は会社を手放してもいいと思っているし、友人たちに「うちの会社に来てよ!」と言われることも多く、窮屈な場所じゃないから、もちろん自分が力になるなら入ってもいいと思っています。
結局、自分がまた『好き勝手に生きたい』と思ったら好き勝手に生きれるという確証があるから、どれでも選べるってすごく自由だなって思うんですよね。だからその選択肢を持ってほしいなと思っています。次の世代の子に。
ミヒロ:いいね、そんな人がいっぱい増えたら。楽しみですね!
由依ちゃん:はい。
ミヒロ:ありがとうございます。
由依ちゃん:ありがとうございます。
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理想の生き方や働き方の道なき道をつくる上村由依さんインタビュー
itty selection Inc. CEO
上村 由依さんも登壇予定!
しつもんカンファレンス
2019年11月9日(土)10日(日)
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