求めるよりも、先に与えることが大切です。
ただし
「与えたことを覚えていると、人は見返りを求めたくなってしまう」
ということを知っておきましょう。
1. 与えるということを「おすそわけ」だと考える

この前は与えたのだから、
次は私に何かしてほしいと自然に思ってしまうのです。
「誕生日にプレゼントをあげたから、
私の誕生日はきっとプレゼントをくれるはず」
「先週は私が支払ってあげたから、今度はごちそうしてくれるはず」
というように。
対価を交換しないとバランスがとれないのですが
「見返りなく与える」場合においては、一度その考えを手放してみましょう。
与えるということを「おすそわけ」だと考えてみてください。
たとえば、
旬の時季に実家から一人では食べきれないくらいりんごが送られてきた時、
おいしく食べられるうちに近所の方や友人に「おすそわけ」をすることでしょう。
自分には十分足りているから、余る分は喜んでくれる人に差し上げるのです。
もらった人が喜んでくれたら、それが自分にとっての喜びになります。
そして大事なことは「おすそわけをした」こと自体を、
その瞬間から忘れることです。
与えたことを忘れてしまえば、見返りは求めようがないからです。
おすそわけ自体は、見返りを求めてやるわけではないので、
相手からお返しがなくてもいいのです。
不思議なことに、このように与えたことがたまっていくと、意外なギフトがやってきます。
多くの場合は、直接の因果関係にないまったく違うところから、
忘れた頃にそのギフトは届きます。
惜しみなく与え、それを忘れる。
2. 見返りを求めながらの質問は、相手を萎縮させる

なぜ、見返りを求めないことが大事なのか。
それは、「感謝してほしい、ほめられて当然」と思って何かを与えることは、
相手に要求するということであり、相手からエネルギーを奪うことになります。
同じように「見返りを要求する」ことも、相手からエネルギーを奪うのです。
ふだんから見返りを求めることに慣れてしまうと、残念なことが起こります。
それは、質問をする時も同様で、こちらの質問に「ちゃんと答えてほしい」と
強制的に答えを求めるようになるのです。
早く答えてほしい、きちんとした答えを言ってほしい、
あなたの質問のおかげで大切なことに気づいたと喜んでほしい、
といった強制の感情が働きます。
見返りを求めながらの質問は、相手を萎縮させます。
言葉としてはいい質問であっても、
質問者が見返りを求めている場合にはいい質問として機能しないのです。
質問者の感情やムードは、相手にストレートに伝わっているのです。
そもそも、魔法の質問とは相手のためになる質問のことであり、
質問者のエゴで相手を萎縮させることは真逆のことになるのです。
3. 質問の3つの心得を大事にする

だからこそぼくは、質問の3つの心得を大事にしています。
「答えはすべて正解」「答えは出なくても正解」「答えはすべて受けとめる」
この3つを実践できれば、相手の答えに何かを要求したり、
強制することはないはずです。
そして、相手の答えに期待をしないでいられます。
ゆとりを持って相手と向き合う。
ゆとりがないと焦りが出ますし、相手にその焦りが伝わってしまいます。
答えることを急かされたり、エネルギーを奪われるムードを感じると、
質問に答えたくなくなります。
ふだんから与えることをしてそれを忘れる、というゆとりを身につけましょう。
ゆとりがある人は質問上手なのです。
何を与え、忘れますか?

Andu says
与えるというとオコガマシイが、 今私がしていることは、体調がよくないと話してくれた2人の知人のところに、ナノバブル水素水を毎日ペットボトルにいれて、運んでいる。元気になってもらいたくて。また三人家族の我が家に、毎年なしが一箱送られてくる。おいしいうちには食べられないので、早めにおすそ分けする。喜んでくれる方には、そんな風にしている。喜んでくれる人というあたりは魔法の質問の3つのルールに反するかもしれない、とふと思った。
しかし今年の誕生日には本当に不思議な事が起こった。上記の人たちとは全く別の方3名から、お誕生日のお祝いをサプライズでいただいた。塾生のお母さんが、ケーキを持参して、教室にいた、子どもたちとプチパーティをしてくれたこと。月1のセミナーの中心スタッフさんから、バラの花束とアイスクリームケーキが贈られてきたこと。母のためにここ数ヶ月健康食品を送っていただいている方から自然食品の中から選んだお勧めの品をプレゼントとしていただいた。不思議!?と思っていましたが、普段のおすそ分けの「ごりやく」かもしれないと、なぜかすとんと腑に落ちた来がしました。ありがたいことです。