魔法の質問認定マスターの中島雅美です。
2020年1月24日、「しつもんZEN」講座に参加するため、わたしは久しぶりに通勤時間帯のJRに乗り、京都に向かいました。
例年より寒く感じない京都でしたが、町並み・空気感・独特の雰囲気は京都そのもの。
向かう花園会館では、お坊さんをちらほらと見かけ、会場の天井は高く、テーブルは丸い。目の前に入る松の幕はドーンと落ち着いた印象。
「和」の講座が始まるんだと感じた朝でした。

1. しつもんZEN講座とは?
しつもんZEN講座は、「禅を日常に取り入れたい」と思う人たちのきっかけになる講座です。
そこに何故しつもんが?と思われるかもしれませんが、「しつもん」は答えを教えるものではなく問いが重要。問いにより、自分のことを感じたり、観察したりすることが根本にあります。それもひとつの瞑想という切り口と考えます。
「しつもん」だけの場合、答えを理論で終えたり、答えが定まらずに堂々巡りをしてしまったりすることもあります。モヤモヤと考え続けても分からないままです。
禅とは?自分の心の状態を知る、自分の観察をしてみようということでもあります。情報の入り口は体であり、脳にくるのはいちばん最後。だから体の感覚反応をみる。
禅としつもんを繰り返すことにより、自分がどういう反応を本当にしているのだろうか?その裏にあるのは何だろう?再度、自分はどう反応しているのか?を観察します。
2. 講座の流れは?

呼吸を意識し、自分の心の状態を知る。
湧いてきた思いや体が感じていることを観察し、とらわれず、ジャッジせずに事実を見る。
答えを求めるのではなく、自然に答えたくなるようなしつもんを生み出す。
しつもんの中に説明はいらない。
感じ、
観察し、
問いかけ続ける。
答えは最適なタイミングで、必要な答えがやってきます。
午前中はこれらを机の上で学び、午後からは妙心寺の春江院へと場所を変え、川上全龍さんのお話とともに、仏教の瞑想と言われるうちの2つ、坐禅と歩く瞑想を体験します。
3. 瞑想を実践

仏教の瞑想は4種類、立つ瞑想・坐る瞑想(坐禅)・寝る瞑想 歩く瞑想があります。午後からは、坐禅を20分間、次に歩く瞑想を体験しました。
坐る瞑想(坐禅)が重要視されるのは 体がいちばん安定し、自分を観察しやすく、緊張感と安定感があるから。
歩く瞑想は、瞑想初心者の方がやりやすいと言われています。動きが大きくあるので集中しやすく、ラベルを剥がすのにも集中しやすいのです。そして、言葉を使って注意を向けさせますが、最終的に向けている注意をもっと自分の感覚にもっていきます。感覚を注意深く見ていくことが重要なのです。
ご住職の全龍さんは言います。
坐禅は、集中してまわりに何が起こっているのか知らないことではない、そこを間違えている人が多い、と。集中し、落ち着いた状態になったときというのは、周りで起きていることが全部分かります。
その周りに起きていることで、どういう反応を自分がしているのかを見ていくことが重要。
瞑想とは、心を無にする無心と聞くこともありますが、何も考えない、頭に浮かんでこないというのは生きている限り無理です。
何故なら、生きている間はいろんな情報が入っている状態だからです。
音、空気の温度、自分の坐っている感覚、自分の体の重さ、そういうことを常に自分は感じていて、それに対して常に反応は起きています。
その反応が強かったり、重要なものが自分の意識の中に出てきて、その他のほとんどのものが無意識の中で処理されます。
情報が常に入ってくることに対して反応しているから、人間は生きている。
だからいろんなことが浮かんでくるのは当たり前。
それに対して消そうとするのではなく、それに対して自分を観察していく。
まず体が反応し、それに対してわたし達はラベルを貼る。不快だとか暑いとか。暑いのその先は、本当はどういうことを経験しているのだろう?
言葉の先にあるものは何だろう?と体で感じていることに注意を向けてもらいたい。
もし、瞑想中に痛みがあるなら、今 自分がどういう痛みを経験しているのか、もっと興味を持って観てみましょう。

痛みを自分の辛い時期にあてはめてみると?
今辛いことが沢山起きている、仕事が大変、家族が大変等・・・
辛いときは辛いことがずっと起きていると思い込んでしまいますが、以外とそうではなくて、瞬間瞬間に注意を向けていくといいこともあります。
今どういうものを経験しているか?
瞬間瞬間だけを観ていてもわからず、俯瞰して観ることによって、痛い時、楽な時のように相対的なものも観えます。
ポイントとしては、自分が問題と思っているものとの関係を変える、避けてるものとの関係をもう一度見直してみるのです。
4. 瞑想を振り返って

眠った場合は、眠くなるのは当たり前、人間の生理現象と捉えたらいい。
瞑想は自分を完璧に整えるということではありません。
今どういう現状なのかを観察するのです。
時間に飽きてきた場合は、自分で「飽きてるよね」と注意をもっていきます。
飽きてきたときの身体感覚って何だろう?
飽きるってどういう風に感じているんだろう?
自分のすべての反応に興味を持っていたらいいのです。
それをやっている限り、観察はできています。
瞑想だから集中しないとダメではありません。
生きている限りものは浮かんできますし、身体機能も常に反応を起こしています。浮かんでくることは絶対にあるので、それを雑念と呼ばない方がいいです。
雑念というレッテルを貼る段階で、自分悪いことをしている、ちゃんとできていない、という風にネガティブに続いていきますから。
5. 間の文化=日本の文化

日本文化の特徴は、単純なことにもすごく注意を向ける、ひとつひとつのことに対して心を尽くしてやる、簡単なことでも最新の注意を払うこと。
日本の庭は写真が取りにくいといいますが、それはどれを撮っていいかわからない、焦点がないからです。
日本の文化は間の文化です。
庭は物を中心に作っておらず、間を中心に作っているのです。
物と物との間がこそメインなのです。
それはすなわち関係性。
関係性を撮ろうとすると引かないと撮れません。
自分というものは特別な独立したものではなく、何かの繋がりによってつくりだされたものという考え方をもっておくのです。
だから自分との観察も重要だし、外との観察も重要です。
外的要因と内的要因の両方があってこそ、そこでぶつかりあってこそ、自分は生まれてきます。
人間とは、何かと何かの間に生まれてくるもの。
瞑想とは、対象物と対象物の間に起きているものを観ること。
だから観察から始めて、問い続けるのです。
6. 本来の瞑想

自分は何を感じているのだろう?に敏感になるために瞑想は重要です。
どういう反応が今生まれているんだろう?
実際の自分の体は今どうなんだろう?
まわりってどうなんだろう?
だからこういう反応が生まれているのか?
そういう両方のものに注意を持ちます。
人間は、最初はどうしても外に注意が向いているもの。だから自分に向けましょう。
仏教は答えを出していないのです。
考えなさい、もっと好奇心を持ちなさい。
自分というのは人間なんだから、これだけしか観えていないし、そもそも自分ってあるのか?から入りましょう。
7. 1日を終えて

何故、瞑想が自分に必要なのか? そこに立ち返った時間になりました。
人間とは何? わたしって何?
そんなことを常識、世の中の流れ、人間の役割や生産性から見つけるのではなく、自分を観察し、自分という人間、自分の成長、自分の改善、自分の変化に気づきながら、自分を掴んでいくものなのなんだなぁと感じた時間でした。
これは一生続く自分との付き合い方だと思うので、「禅を日常に取り入れたい」方はぜひ受講をオススメします!

魔法の質問認定マスター
中島 雅美(りんごろ)









